2009年3月2日月曜日

マクドナルド化する社会

アメリカの社会学者 ジョージ・リッツァのマクドナルド化する社会を読了。
官僚制の考察についてマックス・ウェーバーに詳しいが、ジョージ・リッツァはこの問題を引き継ぎ、現代のマクドナルドに置き換えて官僚制を論じている。

官僚制とは、簡単にいえば、事務的に作業をこなす人達の集団を指している。例えば、しばしば我々は、誰かのことを「官僚的だな」を揶揄したりするが、まさにこれに表わされるように、非人間的な人達を表す。官僚的というのは、個別の事例に合わせて、態度や行動を変えることとは相反し、常にマニュアル化され、まるで機械のように動くさまを言うのである。

さて、ウェーバーの考察がおもしろいのは、この官僚制の議論が、いわゆる公務員の官僚に留まらないということだ。むしろ、官僚制は国家公務員よりも、企業の方が官僚制とは相性がいい。世間では、企業は激しい競争社会をお客様のニーズに合わせて日々邁進しているのに、官僚は温室の中でぬくぬくとしていて競争も自助努力もない、利権ばかり追いかけているヒドイ奴らだ、という漠たるイメージが醸成されているが、そうではなく、官僚制こそ近代民主主義のある種 病的なものの表れではないかというウェーバーの考察は鋭い。

そして、マクドナルドはまさに現代の官僚制の象徴でもあるのだ。ジョージ・リッツァのマクドナルドの体系を研究し、官僚制をこう定義している。
1)計算可能性
2)効率性
3)予測可能性
4)機械(システム)への置き換え


1)計算可能性

マクドナルドではサイズや容量があらかじめ決められている。そして、それは商品名にも「ビックマック」「ビックフィッシュ」「バリューセット」現れている。すべてにおいて、「数量化」「形式化」されているのである。

これによって、利用者は計算をして消費をすることが可能となる。しかし、そこでは「質」という側面がないがしろ、あるいは無視される傾向が強まることになる。つまり、数値が優先され、総合的な判断ができなくなるということである。


2)効率性


マクドナルドの商品・サービス形態は非常に合理性に満ちている。例えば、ドライブスルーはお客に入店の手間も省かせ、車内にいたまま商品を受け取ることができる。さらに、チキンナゲットは骨がない為、合理的に食べることができる。


3)予測可能性


マクドナルドに限らないが、ほとんどのフランチャイズやチェーン系の店舗は、お客は入店する前からだいたいどのような商品・サービスを受けられるかをだいたい把握している。居酒屋でもそうではないか?入ったことのないチェーン系列の店舗でも、出てくる商品はだいたい同じであることが多い。

この「予測が立つ」ということが集客にはとても重要な概念だ。お客はどのようなサービスを受けられるかあらかじめ予測できるものに対しては、安心して享受しようとする傾向がある。マクドナルドは、その点においては全世界どこの店舗に行っても ほとんど同じサービスが受けられるのである。


4)機械(システム)への置き換え


マクドナルドのオペレーションは徹底して合理化している。店員は特別な技能や専門的知識を有することなく、マニュアル通りに動くだけの存在である。自動で揚がるフライ、ボタンを押せばちょうど良い量が出てくるジュースなどの機械のおかげなのである。だから、彼らは機械と機械の間のほんの少しの作業を担うだけの存在なのだ。

さらにそれだけではない。お客との対話やクレームなどのような相互作用を必要とする業務までマニュアル化されている。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」といった決まり文句を唱えるだけだし、仮にクレームが出たとしても、それすらもマニュアル通りに機械的に処理すれば良いのである。

これによって目覚ましいまでの効率化がもたらされるが、それを実行する彼ら(店員)にもたらされるのは脱技能化、 非人間化、そして機械化である。人間なのに機械のような存在になってしまうのである。これがいわゆるマクドナルド化現象、官僚制の最たる問題なのだ。


マクドナルド化が進めば、人々は活気を失い、自ら考えることをやめ、機械のように手順通りに動くことしかできない人間が増えていく。そして、一度そうなった人間は、特殊なスキルや高度な知識も持たないので、取り替え可能な存在になってしまう。雇用者からすれば、「替えはいつでも利く」という状態になってしまうのだ。

そうなれば、「ヒト」 の商品化が進み(すでに末期的なまでに進んでいるが)、売買対象となる人間の人間性は失われ、社会全体に醜悪な病理が渦巻くような状態が来るのだ。

なお、これはマクドナルドなど、供給サイドに限った話ではない。需要者、すなわち消費者側にも言えることなのである。マクドナルドなどで消費をするお客は、総じて官僚的な側面が強いのである。彼ら(お客)は、店員が(官僚的に)スマイルで対応しても、無表情で商品を受け取るだけである。そこには何の感情もない。人間性は失われているのだ。

こうした官僚制的側面が社会の中で増していけば、他も巻き込むようにして官僚制側面が強まっていくのだ。これが近代の病である。

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